INTERVIEW

眞栄田郷敦(主演)×半野喜弘(監督・原案・脚本) オフィシャルインタビュー

取材・文:奥浜レイラ

−本作は眞栄田さんにとって初主演映画になります。オファーがあった時の心境を振り返っていかがですか?

眞栄田:お話をもらってまず作品のイメージを映像化したトレーラーを観せていただいたのですが、これまで体験したことがなかったモノクロの映像や世界観に強く惹かれました。その後、脚本を読ませていただいて「やらせてください」と即答していました。

−脚本を読んだ時の光(ひかり)という役の印象について教えてください。

眞栄田:光は生まれて間も無く視力を失って、手術で見えるようになったものの色は認識できません。色彩をそのまま感じられない代わりに別のクリエイティブな感性を持っていると思います。最初は荒んだ印象を受けましたが、傷ついているからこそ人の気持ちに敏感で、大きな痛みを抱える人たちを理解して寄り添える人物だと感じました。
半野:“見えない”という光の役柄そのものが映画の最初のコンセプトと繋がっています。そもそも映画の基本に立ち返ってみると、「物語」などの要素よりも先行して真っ暗な部屋の中で光を投影することこそが“映画”。なので、今回は“映画”じゃないところから始めたかったんです。何も映らないところから物語をスタートして、多くの人々が普段当たり前に感じているはずの色や光が全くない状態から始まり日常に戻るまでを長い時間かけて描くことで、僕たちにとっての当たり前の価値を再発見できるのではないかと思いました。まずはそのコンセプトを体現する光という人物、つまり光の目を通した世界を見せられる俳優を探していました。

−そこで眞栄田さんに出会って、光を見出したのですね。

半野:たまたまプロデューサーから眞栄田さんの写真を見せてもらい、その瞬間に「あ、いた!」と。実は僕も芝居を見る前に写真だけでオファーすることを決めていました。この映画は光の眼差しが、そのまま観客の眼差しになります。眞栄田さんの瞳の奥に優しさや悲しみのような何か複雑なものがあると感じて、彼なら光を体現してくれるのではないかとオファーしましたが、まさか受けてもらえると思っていませんでした。

−本作には戦争経験を語り継いでいくことの重要性と、大きな傷を抱えた当事者の心に踏み込んで語ってもらうことの残酷さや迷いも描かれていますよね。本作に込めた想いを改めて聞かせてください。

半野:糸洲の「敵って何なんでしょうね」という言葉は、その後の光の人生観に繋がる一言であり、自分が大事にしている考え方でもあります。自分の正義を振りかざした時に敵は生まれるんですよね。正義はひとつなんだろうかと考える。例えば「友部のセリフは監督の伝えたいことなのか」と誤解する人もいるかもしれない。でもそうではなくて、何割かは自分自身の想いで、何割かは真っ向から否定したい意見です。糸洲についても同じ。自分と違う考えを持った人を認めることこそが大切で、意見が違う人は自分の敵という構造を作らないことが必要だという考えが作品の核にあります。別の意見が共存している社会のあり方を作品の中で提示しています。

−沖縄の轟壕(とどろきごう)や摩文仁(まぶに)の丘の海岸など戦中多くの方が命を落とした場所が撮影地になっています。眞栄田さんはどのようなことを感じましたか?

眞栄田:轟壕については、戦時中最大で1000人以上の住民や日本兵が避難していたと聞いていましたが、実際に中に入ると想像を絶する閉塞的な空間でした。外に出た時に太陽の光をより強く感じますし、光が壕の中で一度ライトを消して深い暗闇を感じるというシーンは大切にしていました。僕らの世代は戦争に対してどこか非現実的な感覚がありますが、それでも「理屈じゃなく戦争はだめだ」という共通の認識を持っているはずです。この作品を通して、「戦争」という歴史を伝えていかなければならないという意識を改めて強く持つことになりましたし、自分なりに伝えていける方法があることを実感しました。

−初主演作品の本作での経験はご自身の俳優人生においてどのような影響がありましたか。

眞栄田:昨日も改めて全編観たのですけど、単純に「明日も頑張ろう」というモチベーションになりますよね。今でも半野監督の家に集まったりするんですけど、このメンバーに恥じない仕事がしたいと思うようになりました。それくらい作品に向き合う熱量が高かったです。自分自身としては、あの時持てるすべての力を出したし、出させてもらったので、是非色んな方々に観ていただきたいと思っています。

2人のロングインタビューはパンフレットに収録されます